NHKのキャスターだった畑恵
畑恵は、NHKのキャスターを最年少で担当したことで一気に知名度が上がった女性です。
1989年にNHKを辞め、その後はフリーランスのニュースキャスターとして複数の報道番組を担当していました。
ヨーロッパ共同体の招聘によって、1992年にパリに留学すると、文化高等経営学院で文化マネージメントと文化政策を学びます。
1995年には、参議院選挙に立候補して当選します。
その後、衆議院議員であった船田元と結婚して、作新学園の副院長に就任しています。
現職の参議院議員としては初めて大学院博士課程入学を果たし、2008年に博士課程を修了して博士号を取得します。
現在は、作新学院の理事長として活躍しています。
作新学院は、2016年の夏の甲子園で54年ぶりに優勝したことでも知られる栃木県宇都宮市にある学校です。
畑恵は、ニュースキャスターとして有名でしたが、政界失楽園でも話題になりました。
新進党の議員同士だった船田元と畑恵は、デートしていたところをスクープされ、大問題に発展します。
2人は1999年に再婚しますが、船田元は衆議院選挙でも参議院選挙でも選ばれず、政界引退を余儀なくされたのです。
教育者としての畑恵
畑恵は、2000年12月に船田元が当時理事を務めていた作新学院の副院長に就任しますが、風当たりはかなり強かったのです。
原点に戻ってイメージを刷新しようと夫と話し合い、若い監督を迎えて全国制覇を成し遂げようと決意します。
監督に抜擢されたのは、23歳の作新OBでした。
新監督は、日本一厳しいと言われた練習によって、選手を鍛え上げます。
朝の5時から走り込みをさせ、様々な試みで生徒を鼓舞しました。
その結果、2011年6月から6年連続して甲子園出場を果たし、作新学院は復活を遂げたのです。
連続出場した6年間、畑恵は甲子園に足を運び、スタンドから選手にエールを送りました。
現在は、作新学院創立130周年を記念して作られた学院のシンボルとなる作新アカデミア・ラボに力を注いでいます。
※画像引用:http://www.weblio.jp/content/畑恵
アカデミア・ラボは、在学生はもちろん、同窓生や保護者、地域の人々、地元企業にも開かれた施設になるようにデザインされています。
作新アカデミア・ラボの原点となるのは、アメリカの有名校であるMITのメディア・ラボです。
MITのメディア・ラボで取材をした時に、年齢も分野を超え、国籍の違う人たちが集まってアイデアを自由に出し合う姿を見て、感銘を受けたのでした。
本当の学びはこのような場所から生まれると実感したのです。
作新アカデミア・ラボも、多様な知恵と発想が融合する場所を目指しています。
Last Updated on 2025年7月7日 by hotelv